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『黄昏のシンセミア』感想

 【02//2011】

ええと、今更な感もありますが出す出す呟いていて出していなかった感想です。
手元に残っている初稿は昨年の9月に書いているのですねぇ、あーあ。
本当はこういう感想って出すべきではないのかなぁと思うのですが、
まぁね、だって納得がいかないのだもの

そんなわけでいつものごとく、これが足りない的なもの。
勿体なかったなという印象の強い『黄昏のシンセミア』の感想です。
レビューではなく、またネタばれしかない内容になってます。
ノリで書きすぎている嫌いがあるので、後で修正するかも。
ではでは。


以下本文↓

まぁ、納得という表現がどうなのかなぁと自分で書いていても思う節があるのですが、
正直、アンバランスな作品だったのではないかと思うのです。
この物語は2軸で構成されているわけですが,些か片方に偏り過ぎてないかと思うのです。


「黄昏のシンセミア」は、さくやゲー、妹ゲーと言われることが多いかと思います。
確かにさくやはGrandEndのヒロインであり、
一番長く描かれ印象的な台詞を残してくれたヒロインでもあると思います。


だけれども、ちょっと待って欲しいのです。
実は、「いろは」は非常に重要なキャラクターなのではないでしょうか。

作品のエピローグ、
夏祭りの舞台で舞を披露するいろはにさくやの二人は初代さくやの姿を写しみます。
それは、単にいろはがさくやを演じているからでしょうか。
私はそうは思いません。
私は人であるいろはに天女であるさくやを幻視することにこそ、大きな意味を感じるのです。

パッケージには4人のヒロインが描かれています。
それぞれの物語を振り返ってみると、
いろはだけが、過去から繋がる物語に直接的な関わりを持たないのです。
彼女の物語で語られる内容は、
彼女の背景と、村が山とどのように付き合ってきたかということではないでしょうか。
その中であちら側の要素である山童(いろはの両親)について描かれるとき、いろは自身は不在でした。
いろは自身については、人の世界でしか描かれていません。

私には、いろはが人の側を代表する立場にあるように思えてならないのです。

この作品の主人公はもちろん、孝介とさくやですが、
あの舞のシーンにおいては、いろはがこの作品のつよさを背負っていると思うのです。

あの場で天女を演じるということは、
天女に恩恵を受け、逆にその天女に仇を為し、呪いを浴びた村が積み重ねてきた歴史を背負っているのではないでしょうか。
今となっては都合の良い解釈の伝承しか残ってしませんが、
呪い(厄災)との付き合い方などは山との付き合い方や祭りに残っているのだと思います。

天女は人の身に余る力を持つがゆえに、愛おしい人との再会を誤った形で願いました。
しかし、遺ったのは男への妄執と地に滲みた呪いだけでした。

正しい伝承を知らない村人からすれば、呪いは天災であったでしょう。
そういった人智を超えるものに時に尊敬し、時に畏怖し、
折り合いを付けながら逞しくも生きてきた人の姿が祭りにはあったのではないかと思うのです。
両親の生死が有耶無耶になりがならもつよく生きるいろはの姿もその1つ。
確かに、他者を傷つけ傲慢な生き方を人はしたでしょう。
しかし、だからこそ呪われたはずの村人の中から、
天女を重ねることのできる少女が現れたことに意味があると思うのです。


街の変化といい、村の歩んできた歴史というのが実は大きな基盤にはなっているのではないでしょうか。
そして、過去から連なる因果を祓い、新たな道を歩み行く青年たちの物語というのがこの作品だと思うのです。
「人」と「天女」、「現在」と「過去」そうした交わりを重ねることで厚みの出る物語だったと思うのです。

だからこそ、シンセミアシナリオには不満が残りました。
あまりにもあっさりと片付け過ぎではないかと。
それまでのストーリーで扱ってきた物語を纏め上げることができていないと感じたのです。
もう落胆でしたよ、終わったときは、なんだこれ?みたいな。
特に夏祭りの終盤。
主たる物語は孝介とさくやのものでしょうが、初代さくやの物語がぞんざいに扱われ過ぎてはいないかと。


さくやを山童から救い出す行為は、初代さくやの穢れを祓うという意味も持っていましたし、
青い石が天に昇る光景は孝介や銀子が感じるように、あるべき場所に天女の魂を返すという意味を持っていたと思います。
ただ、そのシーンがこの作品のゴールだとは思わないのです。

天女である初代さくやは村に興味を持ち、男に出会うことで人の世界と交流を得ました。
彼女の悲劇的な運命のために忘れてしまいがちですが、
村は男と彼女にとって絆の1つではなかったかと考えるのです。
男に再び会うことだけを願い、村(人)を呪った呪いの重さがそこにあるのではないかとも。

彼女の死に際は壮絶で、美しかった天女の姿はありませんでした。
呪いとして現れた彼女にはかつての思いやりも優しさも消えて妄執だけがあったように思います。
物語終盤、さくやを取り巻く山童が象徴するのは躰が腐り果てようとも消えぬ生(願い)への固執であり、
それを成す彼女の呪いの悍ましさでしょう。

それゆえに、初代さくやがいろはに降りた光景というのは、孝介とさくやにとって劇的だったと思うのです。
本当の伝承の部分がフラグメントで補完される形式をとっているために、
孝介とさくやがどこまで真実を知っているか(ユーザーの知る情報との差)はかなり曖昧になっていますが、
おそらく、本来の初代さくやの姿を見たのは、あのシーンが初めてではないでしょうか。

初代さくやと孝介、さくやの邂逅するあのシーンこそが、
「誰かを残して往くのは、どんな気持ちなのだろう……」
という問いに対する回答が描かれているシーンだと思うのです。

それまでにも幾度も描かれてはいますが、
現在と過去、この作品が描いてきたことが交わるのは、あの場面だと思うのです。

この問いに対する回答は、幾度も描いてきたために印象が薄くなってしまっているのが残念でした。
ですが、それは演出の失敗が一番の要因だと考えるのです。
・祭りの活気(村に生きる人の息遣い)が、それほど感じられないこと
・いろはの舞があっさりとしたものであること
・互いの手を握る、強く誓う画において、握り合う手がウィンドウで隠れていること

夏祭りの舞は、いろはシナリオで描かれていることもあり印象が薄くなりがちですが、
過去との繋がり(初代さくやの物語)もあるので、注力して印象付けるべきだったのではないでしょうか。
長い時を経て、帰るべき許へと昇って行った彼女へ思いを馳せさせる場面です。
3つめについては致命傷だと思います。
あけすけな作品であれば、アップ画を入れる場面ではないかと。
それまでのところが立ち絵表現のためにわかりませんが元々恋人握りをしていそうですし、
俺の妄想といえばそれまでですが、
過去を受けての今を生きる青年たちの回答を強調するという意味では、それ位の表現があってもおかしくはなかったと思います。

何度も書きますが、孝介とさくやが物語の主人公です。
ですが、それだけだったら過去の伝承などいらないのではないでしょうか。
過去に纏わる物語やそれに連なる物語をしっかりと描いてこその本作だったと思うのです。
良好な評価を受けている本作ではありますが、
自分としてはより良い作品になった、大作になったと考えています。
シンセミアシナリオには憤りを感じた自分ですが、それ故のものと思っていただければと思います。
(※誤解を招くかもしれませんが、初代さくや視点が欲しかったというわけではないです)
( いろはの神楽にみた天女で思います)
( ただ空気感や余韻といったものの力の入れ方が気になったんです)

以上、感想と言いつつも全体ではなく一部に触れたのみですが、私の不満について書いてみました。
否定的なことしか書いてなかったりなので、あまり良い感想とは言えないのですがねぇ。
まぁ、ウチの感想はこんなのばっかですね、えぇ。
自分の願うことができそうもない作品やメーカなら書かないのですよね。
「るいは智を呼ぶ」の時もそうなのですが、それなりに期待しているのですよ。
あっぷりけは処女作から買ってますしね。(ポテンシャルではシンセミア、纏りと言う意味での完成度ではコンチェルトが優っているかなと思います)
「るい智」とプロデューサは同じ方なので、できないことはないと思いますし。簡単ではないでしょうけれど。
「るい智FD」に掛けた力を、こちらにも掛けられたらなぁと。
ヒロイン以外の3人のENDもある本作ですが、正直やっていて何でENDがあるのかわからなかったというか、
いえ、人気出るだろうなとかENDが欲しい人いるだろうなってことはわかりますけれど。
なので発売イベントの際にディレクターの憲yukiさんが、
過去作でFD作成の要望が多かったので、最初から組み込む形で作った
という話をされた時には溜飲が下がったわけですが、
それはFDでやってくれないかなぁとか、やっぱり思うわけで。
まぁ、兎角不満というか残念だったのです。


そんな感じ。
話変わるけど、銀子さん良かったねぇ。
銀子ちゃん、マジ天女ってやつですね。
あかべぇ系列が芹園みやさんを多用し過ぎるものだから飽食気味で、
個人的には当り役ここのところなかったのですが、銀子さんはほんとよかったです。
いやぁ、ほんといいなぁ。
年上おちゃめ最高っす。しっかりしてても抜けてるところがあるのが良いよね。
銀子さんほんといいわ。


そうそう、銀子さんと言えばですが、自分は当初「禁断のシンセミア」で間違えてタイトル覚えてました。
この‘禁断'という部分に惹かれていたのですが、そこを期待するといまいちかもしれませんね。
青い石がシンセミアにあたるわけですが、人の側の問題ですからね。
青い石自体は禁断ではないというか、人の心にとっての禁断というか。
そこを強調しようとすると過去の紛争を描く必要がありそうですから、逸れますし。
あるいは、‘シンセミア’を強調するならやっぱり初代さくやのほうに厚みを持たせる必要があるのかなぁと。
叶わない幻想をみるという意味では、これほどの適任者はいないでしょうから。
青い石とともに歩む人として銀子がいるわけで、青い石に禁断を求めるのも違うのかなぁと思うわけです。
まぁ、どちらにしてもバランスが悪くなりそうなので、「黄昏のシンセミア」で好かったかもって話なんですけどね。
なぜ、禁断なのかということを考えると、人の弱さだったり、件の問い、銀子やさくやについて掘り下げる必要があるのかなとも思うわけですが、どちらかというと逆説的にというか、
弱さに対する強さのほうを主においた作品かもですね。
良くも悪くも徒党を組んで人は生きてきたわけで、自分が村やらいろはに拘る理由はそこにあるわけです。
孝介の「昔から大勢の人のお世話になってきた」、
皐月さんの「二人のおかげで助かっている人もいるのよ」という台詞にも繋がるところですね。

「大昔からの家族ですから」という、さくやの台詞って銀子にとって割と重要な言葉ですよね。
ずっと続いている繋がりというか、歩みの違う銀子にとっての救済というか。
夏祭りで終わるというのが、本当に綺麗な終わり方してますよねぇ。
別段夏祭りが主の話ではないわけで。
前作の『コンチェルトノート』では最初から‘絆’の物語であると明言していたわけですが、
今回も実は一緒なのですよねぇ。
話の内容的に『るい智』と被るところもあって、
あからさまにされていたところが『コンチェルト』ではあんまり好きではなかったりもしたので、
今回のほうがそういう意味では好きですね、うん。

失うことを恐れることから始まる話にしては緊張感が足りないとか、
まぁ、色々つっつくところはあるかもですが、やっぱり好きなのかなぁとか感想書いてて改めて思いました。
実はCM79で桐月さんと少しお話をさせていただいて印象がより良くなったので、
桐月作品は追掛けそうな気がしてます。
これまでは憲yukiさん押しのところもあったので。
あ、桐月さんと何を話したかは適当なところで訊いて下さい。
メモを取っていたわけでもないので、ここで書くのもあれかな、と思うので。
興奮して握手して下さいとか言ってしまいましたよ。
アイドルの追っ掛けを馬鹿にできないね、ほんとはやまった。

あー、そうそう、好きな順番で物語を読めるというユーザビリティは良いと思うのだけれど、
順番によってはその後のネタばれになるとか、ダレルとか嫌だなぁとか思います。
自分の場合、どうしても朱音シナリオに入れなくて、シンセミアに行くまでにダレました。
(何があるかわからないから重要なシナリオは全部回収してから入るタイプなのです)
好きに選べるというユーザビリティがあるなら、製作側が推奨する順番で読める、というユーザビリティがあっても良いのではないかなぁ、と思います。
これは、この作品に限ったことではなく。
開発ブログとかサイトじゃなくて、製品として組み込まれていればなぁと。


これ以上グダグダ書いてもあれなので、今度こそここらで締めにします。
さくやと翔子については他の方にお任せということで。
何かよくわからない感想になりましたが、こんなところで、ではまた~





ちょいと一番好きなシーンについて追記を。
上のを読んでもらえるとわかると思いますが、最後の神楽のシーンです。
そして、そのシーンで神楽を舞ういろはが好きです。

御奈神村の発展は天女が舞い降りたことから始まります。
その名も天女に由来するものでした。
祭りの形式や山への禁などに天女伝説(天女に纏わる過去の出来事)の名残がみられ、
御奈神村と天女は切っても切れない関係にあります。

しかしながらどうでしょうか、
天女と男の恋物語から始まった物語はその後描かれたように悲劇を迎えます。
この悲劇を境に天女と村(の人々)の関係は裏側で大きく変化し、
天女の願いは呪いに変質し、恵みをもたらしたはずの天女に纏わるものは禍をもたらすものになりました。
この悲しい過去を祓うのがシンセミアシナリオです。

後日談として描かれる祭りの一幕、いろはが神楽を舞います。
その姿に二人は呪いに囚われた天女ではなく、以前のような美しい天女を垣間見ます。
この光景は、初めて天女が村に舞い降りた光景に重ねることができるのではないでしょうか。
呪詛から解放された天女は、村が呪詛から解放されたことも意味します。
新たな御奈神村のはじまりです。
若者たちと、御奈神村のこれからを感じさせるものだと思うのです。

私がいろはを好ましく感じるのは、それを背負う美しい存在であって欲しいと願いからなのだと思います。
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