2008-05-14(Wed)
『narcissu』感想
まだ、narcissu及びnarcissu -SIDE 2nd-プレイされていない方がいたら1つだけ警告しておきたい。
絶対にnarcissu -SIDE 2nd-→narcissuの順でプレイしてはいけません。
時系列では逆ですが、この作品は逆にプレイしたほうが個人的には良いと思います。(理由は最後の方で書きます)
どうしても時系列に沿いたいという方は1st→2nd→1stの順でプレイするのがよろしいかと思います。
作者である片岡ともさんのオススメは2nd→1stですが、自分としてはそう思います。
ですので、感想も1st→2ndの順で書くことにします。
(※小説本narcissuのネタばれ含みます、該当部分は短いので、反転隠しもしてません。
あと、未プレイの方は見ないでください。
では↓
↓
↓
「narcissu」において自分が感じたことは
人は他人の人生を背負うことはできない、
死を代わることはできない
ということです。
だからこそ、この作品をプレイし終えた時に私の初めに思った感想は「だから何?」でした。
1stで描かれているのは、ある少女の生き方と少女に出逢った青年の物語です。
ありきたりな表現をすれば、それ以上でもそれ以下でもないと思います。
ホスピスに入ることになった主人公は一人の少女、セツミに出逢います。
そして病院から、家族から逃げ出すようにして二人だけの旅に出ます。
自分が思うにこの旅で過ごした時間というのは期間こそ短いですが、とても濃密なものだったのではなかと思います。
同じホスピスにいるというだけの二人が、最後はセツミの最後を看取るという状況までに発展するのですから。
しかし、逃避行の手伝いをした、むしろ嗾けたはずの主人公は、セツミの最後の選択に対して肯定も否定もしません。
「お前、今・・・引きとめてほしいか?」
「それとも・・・背中を押して欲しいか?」
以前は、波打ち際で止っていた、その足・・・
でも今は止ることはなかった。
・・・だから、それが答えなんだと思う・・・
体調を崩して苦しそうにしているセツミに対して心配していた主人公は、その最後には見送るだけなのです。
分かっていたのは、遅かれ早かれこうなること。
もちろん俺自身だって大差はない。
だけど、隣で眺めていることしか出来ないのが辛かった。
と感じていた主人公、けれども知ってしまったのだと思います。
セツミと主人公は違うのだと言うことを。
その日の前夜、主人公の少しは前向きになったっていいじゃないかという言葉に対してセツミは本当の表情をみせます――
「憧れて、懸命になって、頑張って、いつか報われるのなら良いけれど・・・」
「その時に、無理だったねって、
笑って言えるほど、強くないわよ・・・」
「わ、わたしに出来ることは、最初から諦めて、何も望まずにいて・・・」
「や、やっぱり無理だったと、冷めた目で、自分を見ることしか出来ないのよ・・・」
「あ、あの時、頑張っていたら・・・もしかしたらって・・・」
「自分にとっての、最後の言い訳を取っておくしかないのよ・・・」
「さ、最初から、無理だと分かっているんだから・・・」
「そ、それくらい・・・良いじゃないの・・・」
そして自分よりも幼くみえる3回目の彼女が何を感じ、どのように生きてきたのかということを知るのです。
セツミにとって7階か家かを拒否したのは最初で最後の抵抗だったのかもしれないと気づくのです。
逃避行に出た二人ですが、最初からその意味は違っていたのではないでしょうか。
機会があったから日常へのキーとその証である免許証を手にした主人公。
結局最後まで主人公の名前を聞こうとしない、5万円を持って旅に出たセツミ。
ホスピスで出逢った二人ですが、決定的な差があったのではないかと思います。
セツミが車や道路に詳しいことに対して主人公はこう思っています。
きっと車とか好きなんだろうな・・・
たしかにそうかもしれません、でもそれだけではないでしょう。
セツミにとって地図や車は自分にセカイを認識させてくれる、旅立たせてくれるものだったのです。
主人公が考えている以上の意味があったと思います。
セツミが消える前夜に主人公はセツミがどんな22年間を生きてきたかということに触れ、自分がどんなに彼女を知らなかったのか、彼女の全て――人生全部を知ることなんてできないとわかったのだと思います。
彼女と自分は違う、彼女の選択は彼女だけのもの。
だから主人公は只見送ったのだと思います。
私にとって彼女の、セツミの死というのは少女が自らの生き方を選択し、消えて行っただけのことです。
私は、彼女の生き方に肯定も否定も出来ません。
彼女の気持ちなんてわからないですから。
理解できるなんて言えません。
ホスピスに入ったことはないですし、ましてや彼女と話したこともないのです。
同じ時を過ごしたことなどないのです。
血液型O、名前はセツミ、22才、女性・・・
ビニールの認識腕輪は白。
画面の中の少女が3万5千人の中の1人になった日のこと、そんな日のこと
・・・でも俺は知っている。
本当は、ビキニの水着が好きで、ナビ以上に道に詳しくて、
車が好きで、免許だって持っている。
いつもは無表情で、滅多に向けてくれないけど、
たまには、照れくさそうな、拗ねたような顔だってしてくれる・・・
エメラルドの海を背に・・・
跳ねるように、嬉しそうに、
まるで、グラビアアイドルにように笑ってくれる・・・
なのに・・・
この安っぽい使い捨てカメラに、たった一枚しか残せなかった彼女の笑顔。
・・・それでも・・・たった一枚だけでも・・・
・・・・・・残せた俺たちの証し・・・・・・
眩しかった日のこと、そんな日のこと
だから、私にとっては「だから、何?」なのです。
私が「narcissu」において評価しているのは、登場人物とプレイヤーの距離感です。
コンパクトにまとまっているというよりは短いから、与えられている情報が少ないからこそ良かった作品なのではないかと思います。
#SIDE 2nd
SIDE 2ndは姫子とセツミの過去のお話です。
ボランティアをしていた姫子は志願した結果、ホスピスにいる少女に出逢います。
その後、同じ病院に通っていたセツミは姫子に出逢うことになります。
ルール。以前に自分が聞いた限りでは、
この7Fの住人だけで伝えていることらしい。
つまりは、死に行く当人達「だけ」の問題なのだろう。
だから私には・・・それを聞く権利はないのかも知れない。
物語終盤、姫子は言います。
去る者と、残される者は・・・決して交わることはないのよ
けれども、去る者に対して残される者がいるということすでに交わってしまったということではないでしょうか。
運転しようとする姫子を心配するセツミに対して「道路は私一人で走ってるわけじゃないんだからさ」
と言います。
病室の姫子にとって地図は世界であり、車はその世界を歩く足であったのではないかと思います。
この言葉は人は一人で生きているわけではないということだったのかもしれないと思います。
セツミに声をかけた姫子はセツミに少女の面影を重ねていました。
記憶を消すことはできないのです。
記憶がある、それはすでに関ってしまったということです。
残される者から去る者に変わったセツミは主人公と病院を抜け出し、
去る者、残される者、立場の違う主人公と千尋は出逢います。
そして伝えられるはずのなかったルールが主人公から千尋へと告げられ
『・・・こうして、わたしの元へと、ルールは委ねられた』
『まだ見ぬ、本来の担い手・・・』
『きっと、すぐに現われるのだろう』
『きっと、わたしの手を離れても・・・』
『いつまでも・・・』
『・・・語りつがれるのだろう』
私は1stのほうが、ともさんの目指していたものに近いし、また、評価できると思っています。
2ndを蛇足だと感じていた時期もありますし、今でも1stの補足的作品であると思っています。
ともさんは優しい方なのだと思います。
2ndの持つ意味合いとは、まさしく
旧ナルキでは描かれなかったけど、
本当は、セツミさんも、明るくて優しい人達に、
囲まれていたんだってことを表現したかったんだと思います。
もしくは、そうあって欲しいという願いからです。
なのでしょう。
私はセツミと鉄棒のシーンでの挿絵に違和感を感じています。
あのシーンはセツミが見た風景――世界であるべきだったと思います。
あのシーンでセツミの正面からのアップ絵を使うことによって、プレイヤーはセツミへと意識がいくでしょう。
そして、必要以上に感情移入してしまうと思うのです。
物語の序盤で感情移入してしまえば、narcissuのストーリーからして、1st→2ndと2nd→1stとではやる順番によってプレイヤーの見た物語は異なると思います。
narcissuの“主人公”の知る“セツミ”とプレイヤーの知る“セツミ”では埋めることの出来ない差ができてしまうと思うのです。
2nd→1stでは登場人物とプレイヤーが近づきすぎてしまう、もしくは近づいた気になってしまう、そんな気がするのです。
だから私は1st→2ndでやるべきだと書きました。
セツミの家族が感謝をしてくれたということ、それは本来は“主人公”だけが知るべきことだと思います。
最初に人は他人の人生を背負うことはできない、死を代わることはできないと感じたと書きました。
でも、時間を共有することはできます、見送ることはできます。
・・・残すものには、笑ってあげて・・・
この台詞が象徴しているのは、残されるものがいるという哀しい事実と見送ってくれる人がいるという優しい現実ではないでしょうか。
小説narcissuで、姫子はそれまで避けていた千尋や優花と昔のように接するようになります。
それはたぶんセツミに言ったことを自ら実行したのだと思います。
もし、あなたのとても親しい人が、少しずつ弱っていったとして・・・
あなたは傍で、ずっとその姿を見ていたい?
それとも、自分の知らぬ間に、いつのまにか亡くなっていて欲しい?
私は、ずっと傍に居てあげたいと思うわ
でも、自分が去る立場ならば、逆・・・
傍には、誰も居て欲しくない・・・
姫子は千尋や優花の気持ちを知りながらも避けていました。
それは大切な人につらい思いさせたくないからでしょう。
セツミはコロッケが苦手なことを母親に言い出せませんでした。
そんな彼女に『好き』になってしまえば良いと、病気を治すよりは簡単だと言います。
セツミや姫子は病気から逃れることはできません、誰も死から逃れることはできないのです。
悲しませたくないのなら、望むようにさせてあげることが優しさだったのではないでしょうか。
母親を悲しませたくない、妹や親友につらい思いをさせたくない、でもそれはそんな姿を見たくないということも含めてなのです。
自分の痛みは耐えられても・・・人の痛みには耐えられない・・・
病気を治すことよりは簡単なはずです、堪えることは。
私は、あなたには成り得ないの
コロッケを本当に好きかどうかでさえ、親にだってわからないんです。
思っているはずです、もっと話してして欲しい、頼って欲しいと。
残される者にしても、去る者にしても
小説で姫子が優花に最後にしたこととは、たぶんセツミに言ったことと同じなのではないでしょうか。
narcissuのメッセージとは、大切なものは出逢った人々 ということなのだと思います。
奇跡は起こらないことだってあるのです。
神様だって皆を救ってくれるとは限らないのです。
眩しかった日のこと、そんな日のこと
いつの日のことかさえ分からない簡単な一言に、narcissuの全てが詰まっているのだと思います。
絶対にnarcissu -SIDE 2nd-→narcissuの順でプレイしてはいけません。
時系列では逆ですが、この作品は逆にプレイしたほうが個人的には良いと思います。(理由は最後の方で書きます)
どうしても時系列に沿いたいという方は1st→2nd→1stの順でプレイするのがよろしいかと思います。
作者である片岡ともさんのオススメは2nd→1stですが、自分としてはそう思います。
ですので、感想も1st→2ndの順で書くことにします。
(※小説本narcissuのネタばれ含みます、該当部分は短いので、反転隠しもしてません。
あと、未プレイの方は見ないでください。
では↓
↓
↓
「narcissu」において自分が感じたことは
人は他人の人生を背負うことはできない、
死を代わることはできない
ということです。
だからこそ、この作品をプレイし終えた時に私の初めに思った感想は「だから何?」でした。
1stで描かれているのは、ある少女の生き方と少女に出逢った青年の物語です。
ありきたりな表現をすれば、それ以上でもそれ以下でもないと思います。
ホスピスに入ることになった主人公は一人の少女、セツミに出逢います。
そして病院から、家族から逃げ出すようにして二人だけの旅に出ます。
自分が思うにこの旅で過ごした時間というのは期間こそ短いですが、とても濃密なものだったのではなかと思います。
同じホスピスにいるというだけの二人が、最後はセツミの最後を看取るという状況までに発展するのですから。
しかし、逃避行の手伝いをした、むしろ嗾けたはずの主人公は、セツミの最後の選択に対して肯定も否定もしません。
「お前、今・・・引きとめてほしいか?」
「それとも・・・背中を押して欲しいか?」
以前は、波打ち際で止っていた、その足・・・
でも今は止ることはなかった。
・・・だから、それが答えなんだと思う・・・
体調を崩して苦しそうにしているセツミに対して心配していた主人公は、その最後には見送るだけなのです。
分かっていたのは、遅かれ早かれこうなること。
もちろん俺自身だって大差はない。
だけど、隣で眺めていることしか出来ないのが辛かった。
と感じていた主人公、けれども知ってしまったのだと思います。
セツミと主人公は違うのだと言うことを。
その日の前夜、主人公の少しは前向きになったっていいじゃないかという言葉に対してセツミは本当の表情をみせます――
「憧れて、懸命になって、頑張って、いつか報われるのなら良いけれど・・・」
「その時に、無理だったねって、
笑って言えるほど、強くないわよ・・・」
「わ、わたしに出来ることは、最初から諦めて、何も望まずにいて・・・」
「や、やっぱり無理だったと、冷めた目で、自分を見ることしか出来ないのよ・・・」
「あ、あの時、頑張っていたら・・・もしかしたらって・・・」
「自分にとっての、最後の言い訳を取っておくしかないのよ・・・」
「さ、最初から、無理だと分かっているんだから・・・」
「そ、それくらい・・・良いじゃないの・・・」
そして自分よりも幼くみえる3回目の彼女が何を感じ、どのように生きてきたのかということを知るのです。
セツミにとって7階か家かを拒否したのは最初で最後の抵抗だったのかもしれないと気づくのです。
逃避行に出た二人ですが、最初からその意味は違っていたのではないでしょうか。
機会があったから日常へのキーとその証である免許証を手にした主人公。
結局最後まで主人公の名前を聞こうとしない、5万円を持って旅に出たセツミ。
ホスピスで出逢った二人ですが、決定的な差があったのではないかと思います。
セツミが車や道路に詳しいことに対して主人公はこう思っています。
たしかにそうかもしれません、でもそれだけではないでしょう。
セツミにとって地図や車は自分にセカイを認識させてくれる、旅立たせてくれるものだったのです。
主人公が考えている以上の意味があったと思います。
セツミが消える前夜に主人公はセツミがどんな22年間を生きてきたかということに触れ、自分がどんなに彼女を知らなかったのか、彼女の全て――人生全部を知ることなんてできないとわかったのだと思います。
彼女と自分は違う、彼女の選択は彼女だけのもの。
だから主人公は只見送ったのだと思います。
私にとって彼女の、セツミの死というのは少女が自らの生き方を選択し、消えて行っただけのことです。
私は、彼女の生き方に肯定も否定も出来ません。
彼女の気持ちなんてわからないですから。
理解できるなんて言えません。
ホスピスに入ったことはないですし、ましてや彼女と話したこともないのです。
同じ時を過ごしたことなどないのです。
ビニールの認識腕輪は白。
画面の中の少女が3万5千人の中の1人になった日のこと、そんな日のこと
本当は、ビキニの水着が好きで、ナビ以上に道に詳しくて、
車が好きで、免許だって持っている。
いつもは無表情で、滅多に向けてくれないけど、
たまには、照れくさそうな、拗ねたような顔だってしてくれる・・・
エメラルドの海を背に・・・
跳ねるように、嬉しそうに、
まるで、グラビアアイドルにように笑ってくれる・・・
なのに・・・
この安っぽい使い捨てカメラに、たった一枚しか残せなかった彼女の笑顔。
・・・それでも・・・たった一枚だけでも・・・
・・・・・・残せた俺たちの証し・・・・・・
眩しかった日のこと、そんな日のこと
だから、私にとっては「だから、何?」なのです。
私が「narcissu」において評価しているのは、登場人物とプレイヤーの距離感です。
コンパクトにまとまっているというよりは短いから、与えられている情報が少ないからこそ良かった作品なのではないかと思います。
#SIDE 2nd
SIDE 2ndは姫子とセツミの過去のお話です。
ボランティアをしていた姫子は志願した結果、ホスピスにいる少女に出逢います。
その後、同じ病院に通っていたセツミは姫子に出逢うことになります。
ルール。以前に自分が聞いた限りでは、
この7Fの住人だけで伝えていることらしい。
つまりは、死に行く当人達「だけ」の問題なのだろう。
だから私には・・・それを聞く権利はないのかも知れない。
物語終盤、姫子は言います。
けれども、去る者に対して残される者がいるということすでに交わってしまったということではないでしょうか。
運転しようとする姫子を心配するセツミに対して「道路は私一人で走ってるわけじゃないんだからさ」
と言います。
病室の姫子にとって地図は世界であり、車はその世界を歩く足であったのではないかと思います。
この言葉は人は一人で生きているわけではないということだったのかもしれないと思います。
セツミに声をかけた姫子はセツミに少女の面影を重ねていました。
記憶を消すことはできないのです。
記憶がある、それはすでに関ってしまったということです。
残される者から去る者に変わったセツミは主人公と病院を抜け出し、
去る者、残される者、立場の違う主人公と千尋は出逢います。
そして伝えられるはずのなかったルールが主人公から千尋へと告げられ
『まだ見ぬ、本来の担い手・・・』
『きっと、すぐに現われるのだろう』
『きっと、わたしの手を離れても・・・』
『いつまでも・・・』
『・・・語りつがれるのだろう』
私は1stのほうが、ともさんの目指していたものに近いし、また、評価できると思っています。
2ndを蛇足だと感じていた時期もありますし、今でも1stの補足的作品であると思っています。
ともさんは優しい方なのだと思います。
2ndの持つ意味合いとは、まさしく
本当は、セツミさんも、明るくて優しい人達に、
囲まれていたんだってことを表現したかったんだと思います。
もしくは、そうあって欲しいという願いからです。
なのでしょう。
私はセツミと鉄棒のシーンでの挿絵に違和感を感じています。
あのシーンはセツミが見た風景――世界であるべきだったと思います。
あのシーンでセツミの正面からのアップ絵を使うことによって、プレイヤーはセツミへと意識がいくでしょう。
そして、必要以上に感情移入してしまうと思うのです。
物語の序盤で感情移入してしまえば、narcissuのストーリーからして、1st→2ndと2nd→1stとではやる順番によってプレイヤーの見た物語は異なると思います。
narcissuの“主人公”の知る“セツミ”とプレイヤーの知る“セツミ”では埋めることの出来ない差ができてしまうと思うのです。
2nd→1stでは登場人物とプレイヤーが近づきすぎてしまう、もしくは近づいた気になってしまう、そんな気がするのです。
だから私は1st→2ndでやるべきだと書きました。
セツミの家族が感謝をしてくれたということ、それは本来は“主人公”だけが知るべきことだと思います。
最初に人は他人の人生を背負うことはできない、死を代わることはできないと感じたと書きました。
でも、時間を共有することはできます、見送ることはできます。
この台詞が象徴しているのは、残されるものがいるという哀しい事実と見送ってくれる人がいるという優しい現実ではないでしょうか。
小説narcissuで、姫子はそれまで避けていた千尋や優花と昔のように接するようになります。
それはたぶんセツミに言ったことを自ら実行したのだと思います。
あなたは傍で、ずっとその姿を見ていたい?
それとも、自分の知らぬ間に、いつのまにか亡くなっていて欲しい?
私は、ずっと傍に居てあげたいと思うわ
でも、自分が去る立場ならば、逆・・・
傍には、誰も居て欲しくない・・・
姫子は千尋や優花の気持ちを知りながらも避けていました。
それは大切な人につらい思いさせたくないからでしょう。
セツミはコロッケが苦手なことを母親に言い出せませんでした。
そんな彼女に『好き』になってしまえば良いと、病気を治すよりは簡単だと言います。
セツミや姫子は病気から逃れることはできません、誰も死から逃れることはできないのです。
悲しませたくないのなら、望むようにさせてあげることが優しさだったのではないでしょうか。
母親を悲しませたくない、妹や親友につらい思いをさせたくない、でもそれはそんな姿を見たくないということも含めてなのです。
病気を治すことよりは簡単なはずです、堪えることは。
コロッケを本当に好きかどうかでさえ、親にだってわからないんです。
思っているはずです、もっと話してして欲しい、頼って欲しいと。
残される者にしても、去る者にしても
小説で姫子が優花に最後にしたこととは、たぶんセツミに言ったことと同じなのではないでしょうか。
narcissuのメッセージとは、大切なものは出逢った人々 ということなのだと思います。
奇跡は起こらないことだってあるのです。
神様だって皆を救ってくれるとは限らないのです。
いつの日のことかさえ分からない簡単な一言に、narcissuの全てが詰まっているのだと思います。


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